ラブソングみたいに make a miracle ♥︎∗*゚

クリームソーダには夢と希望が詰まっています

KinKi Kids とわたし

手始めに、

わたしのジャニヲタ人生を語る上で欠かせないふたりの男について書いてみようと思います。

 

KinKi Kids と わたし】

1995年4月8日。
10歳だった私は、テレビを見ていた。
テレビ画面には顔が小さくて、モミアゲが細長くて、目がくりくりした男の人が自転車をこいでいる姿が写っていた。
おどけた表情を見せる時もあれば、真剣な表情で謎解きをしている時もあった。
名前も知らないその男の人に惹かれた。
カメラ目線で「じっちゃんの名にかけて」と決め台詞を言った彼。
この日が、私が堂本剛を知った日である。
そしてこれが、わたしのジャニヲタ人生のすべての始まりである。

堂本光一さんという人とコンビを組んで、KinKi Kidsというジャニーズのアイドルであること。
当時SMAPファンだった姉から教えてもらった。
堂本光一さんという人のお名前と顔は覚えたが、当時10歳だ。いつ何に出演しているのかさえわからない。
特に秋田という田舎に住んでいるから尚更ついていけない。ついていけるはずがない。
そのまま、姉の購入するアイドル誌でKinKi Kidsという2人を眺めていた。
シリーズ化された金田一少年の事件簿ももちろん見た。

1996年1月。
銀狼怪奇ファイル、放送開始。
銀狼と耕助を演じ分けるチカラ。二役のギャップ。
何この人、かっこよすぎじゃね?
「俺に不可能はない」と銀色の瞳で冷血に言い放った彼。完全にヤられた。
わたしって、その頃から変態だったんだと思う。
これで、いとも簡単に『KinKi Kidsヲタク』の出来上がりである。

1996年から『LOVE LOVE あいしてる』放送開始。土曜日の23:30からだったが、当時から夜更かし星人だったわたしはリアルタイムで見ていた。
欠かさずビデオも撮った。
気に入った回は擦り切れるんじゃないかと思う程繰り返して見た。
楽しいトーク、どんどん上手くなっていく歌とギター。上達ぶりに正比例してどんどんハマっていく若かりし私。

1997年7月21日。
KinKi Kidsがデビューした日である。
姉に頼みこみ、CDショップへ連れて行ってもらった。当時、姉はSMAPファンでは無くなっていた。家の中でジャニヲタは私だけとなっていた。
硝子の少年とA Album。パッケージになっているのを買った。
歌詞カードの片隅に、「ジャニーズファミリークラブ 入会のご案内」かなんかの記載があった。
要は、「YOU、キンキのファンクラブ入っちゃいなよ。キンキに金払っちゃいなよ」っていうお誘いである。
まんまと誘いに乗って、ファンクラブに入会した。
どんどん加速していくヲタ心。

1998年5月5日。
はじめてKinKi Kidsのコンサートへ行くことになった。
当時14歳、中2だ。
場所は横浜アリーナ
ツアータイトルは
『HAPPY HAPPY DATE』。KinKi Kidsとデートができるらしい。
 慣れないうちわを手に持ち、初めて聞く黄色い歓声の中で戸惑いながらもスタンド最前列で見た。わたしが人生で初めて見る、テレビの中にいる人。
それがKinKi Kids
生で見たわたしの大好きな人達は、想像以上にキラキラ輝いていた。
だが、生で見ているのになんとなくフィルターがかかっている感じを覚えた。それはいまだに感じている。
あっという間に終わった、幸せなコンサートデビューだった。
その後、夏にはコンサートに通いつめた。
 地元公演では、紙飛行機を剛さんととばした。
花道沿いのオイシイ席だったことを覚えている。今では考えられないことであるが、何故かデコ全開でコンサートに行ってしまい、ジュニアの誰かに繰り返し凝視されたことを覚えている。
すごい指された記憶もある。
未だに、そのジュニアが誰なのかはわからない。私のデコに興味を持ったあのジュニアが、立派に成長していることを密かに願っている。

…2000年以降、KinKi Kidsはドームツアーを行うようになり、東北には来なくなった。
わたしは高校に入学し、夏はコンクール、秋はマーチングと部活に明け暮れる日々を過ごした。
当時わたしはまだ東京なんて簡単に行けないと思い込んでいた。
過去の自分に教えてあげたい。東京は以外と近いんだぞ!って。

そしていつしか私はお茶の間ファンとなった。CDは買うが、以前のような熱さは無くなっていった。

高校卒業し、社会人として2年間働く。
そして、看護学校に進学した。
山形での独り暮らしのスタートだ。
引越しの荷物の中に、KinKi Kidsグッズだけはと詰め込んだ。
ビデオ、CD、好きな雑誌。
辛い時、楽しい時、わたしの生活にはいつでもKinKi Kidsの楽曲があった。
特にフラワーには、何度も何度も助けられた。
看護学生時代は、ごく親しい友人にしかキンキヲタであることは明かさずに過ごした。剛さんが、光一さんがソロコンで仙台に来ていようが何しようが、申し込みもしなかった。
…学業に専念している訳ではありませんでしたが。

そんなこんなで、
なんとかかんとか卒業し、
なんとかかんとか国試も合格した。
なんとかかんとか仕事もしている。
イエーイ!独り暮らし最高ー!の時期。

2008年。
社会人2年目。ある程度余裕も出てきたころに、とあるお知らせが届く。
KinKi Kidsが全国ツアーをやるという。
その名も
キンキキッズ 緊急全国ツアー KinKi youコンサート」
とりあえず控えめに、仙台を申し込んでみたのだが、
素敵なご縁で仲良くなった友人と東京ドームのライブに入ることになった。

2008年7月22日、東京ドーム。
久々のKinKi Kidsのライブだ。
ドキドキし、緊張してお腹痛くなりながらもその時を待った。
客電が落ちた瞬間歓声の中に埋もれることなく、大好きなふたりの声が、しかもアカペラの歌が聞こえてきた。
しかもその曲が『愛のかたまり』だった。
ふたりで作ったその歌を歌いながら、
ふたりは赤い衣装に身を包み、東京ドームの高いところから、
1人はまっすぐ前を見て、もう1人は伏し目がちに階段を降りてきた。
その姿はまるで神様たちがこの世に降臨するかのように神々しく見えた。
何故か『お久しぶりです、わたしも24歳になりました』と心の中で呟いた。
彼らは10年前と同じく、キラキラ輝いていた。変わったことといえば、ファンに対し(愛ある)暴言を吐くようになったことだろう。
ライブ終盤でのAnniversary。
トロッコに乗って、光一さんがすぐ側を通っていく。
みんなギャーギャー。
わたしと友人、大号泣。何故泣けてきたか、未だにわからない。
ただ、光一さんが優しい微笑みを浮かべて手を振っていたことだけが忘れられない。ほんっとに楽しかったんだろうね、光一さん。

KinKi Kidsが好きです』
とカミングアウトすると、99%ぐらいの確率で
「へー、どっちが好きなの?」と聞かれる。
わたしは、ふたりがふたりでいるのが好き。
剛さんの隣にいる光一さんが好き。
光一さんの隣にいる剛さんが好き。
彼らが歌う歌が好き。
彼らが踊る踊りが好き。
彼らの奏でる音楽が好き。
彼らがつくる音楽が好き。
彼らが話すくだらないことが好き。
彼らがつくる世界が好き。
ふたりがふたりでいてくれれば、それでいい。
LOVE<<<RESPECT
あの2人がいなかったら、わたしはこんなに人生を楽しめていない。
2人と同じ時代に産まれてきて、同じ国に産まれてきて、本当に良かった。
思えば、もう20年。人生の2/3を彼らとともに過ごしていることになる。

これだけの愛情を持っているのだが、
私はKinKi Kidsに対しては辛口である。
愛があるが故、すべてを受け入れることはできないこともある。
文句も言いますが、
『私はKinKi Kidsが大好きです』
これまでも、きっとこれからも。
それは恋とか愛とかの類ではなくて。